2021年7月27日 コラム

“ハズレクジ”と言われた暗黒時代から2か月連続2社上場させるまで ~新規事業家の失敗と成功を紐解く~

【連載コラム】失敗は成功の調味料

変革が求められている今、不透明な先行きに戸惑い、苦慮するスモールビジネス経営者は少なくありません。そんなときには、先人の失敗談や成功までの道筋が大きなヒントを与えてくれます。今回は、新規事業開発を専門に行う新規事業のプロとして、数々の新たな価値を生み出し続けている守屋実さんに、失敗から何を得たのか、リアルな体験を語っていただきました。


●インタビュイー:
新規事業家  守屋 実さん

●プロフィール
1992年、ミスミ(現ミスミグループ本社ホールディングス)に新卒入社し新規事業開発に従事。2002年に新規事業の専門会社であるエムアウトをミスミ創業者の田口氏とともに創業し、数多くの事業の立ち上げと売却を行う。2010年、守屋実事務所設立。新規事業を創出する専門家として活動を続けている。

●実績
「52(年齢)=17(企業内起業の数)+21(独立起業の数)+14(週末起業の数)」
ラクスル、ケアプロの立ち上げに参画し副社長を歴任。ジーンクエスト、サウンドファン、SEEDATA(博報堂グループ)、AuBほか数々のスタートアップをはじめ、博報堂やリクルートホールディングスなどの大手企業、経済産業省などの政府機関で、それぞれに取締役、アドバイザー、顧問などの立場から携わる。ラクスル、ケアプロの立上げに参画、。副社長を歴任後、サウンドファン、ブティックス、AuB、みらい創造機構、ミーミル、JCC、テックフィード、キャディ、フリーランス協会、セルム、日本農業、ガラパゴス、博報堂、JAXA、JR東日本スタートアップなどの取締役など、内閣府有識者委員、山东省人工智能高档顾问を歴任。2018年には介護業界のマッチングプラットフォームであるブティックスとラクスルの2社を上場に導く。

●著書
『起業は意志が10割』(著:守屋実、講談社)
『DXスタートアップ革命』(監修:守屋実、日本経済新聞出版)

苦しみ抜いた暗黒時代

(左:守屋実氏、右:編集部土井)

エムアウトはスタートアップスタジオの先駆け

――ミスミを退職後、ミスミ創業者の田口氏とともに新規事業開を専門とするエムアウトを立ち上げ、取締役に就任されました。その経緯を教えていただけますか?

私が在籍していた頃のミスミでは、本業である金型事業以外の新規事業を国内でどんどん立ち上げていくという成長戦略をとっていて、私はそこでひたすら新規事業に取り組んでいました。

その後ミスミは、本業をグローバル展開することで成長を目指すという、真逆に舵を切る判断を田口さん自身が下しました。グローバル展開を推し進めるための社長を外部から探してきて、田口さん自身はミスミを引退。ミスミとは全く別の法人として国内で新規事業を専門に行う会社を立ち上げ田口さんが代表取締役に就任した、というのがエムアウトの成り立ちです。

私は田口さんに連れていかれる形で、取締役という肩書でエムアウトに入社することになりました。私に声が掛かったのは、ミスミでの10年間、新規事業をやってきたということもありますが、本業人材でなかった私が抜けてもミスミへの差し障りがないという点でもちょうどいい人材だったのかも知れません(笑)。

――新規事業だけをやる会社は2002年当時では珍しかったと思うのですが、具体的にどのように展開されたのでしょうか?

国内で新規事業だけをやる会社を作りたいというのが田口さんの構想だったので、どうしたらそれが実現できるのかを必死で考えました。そこで決めたのが、起業を専らとする起業専業企業にするということ。

たとえば、通常だと花屋の事業を始めて、それがうまくいったら花屋の会社になりますよね。なので、花屋にならない為に、うまくいった時点で花屋は売っちゃうわけです。次に肉屋の事業をスタートして、うまくいったらそれも売る。今でいうとスタートアップスタジオという言葉になると思いますが、当時はスタートアップという言葉もなかったので、先駆けの会社といえるでしょうね。

私が話すことは全て“ダウト”と言われた時期

――エムアウトでのスタートは順調でしたか?

エムアウトでの前半戦は、本当に失敗ばかりでした。一度、3連続で新規事業に失敗したことがあるんですが、そのときに社内のメンバーからすると、私とチームを組むことは“ハズレクジ”という状態になっていました。正直、自分でも3連続で空振りすると4本目にヒットを打てる気がしなくなっており、自分自身に嫌気がさしていたし、辞めたいと思ったこともありました。

そうした状況を打開するために、新規事業開発ができる優秀な人材をどんどん採用していったのですが、今度は社内をコントロールすることができなくなった。強いサムライが何人も闊歩している戦国時代のようになって、社内を制圧できなくなったわけです。面と向かってクレームを言われたりして、社内には味方がほとんどいない状態に等しかったですね。

この当時、頭の形がうっすらとわかるほど頭髪が抜け落ちたくらい悩みました。日曜の夜になると具合が悪くなる、いわゆるサザエさん症候群にもなりました。

――かなり悩んだ時期もあったんですね。そこからどのように立ち直っていったんでしょうか?

3連続の失敗をしてどん底の状態が続いていたわけですが、そんなときに、たまたま社外からのアイデアで活路を見出すことができたんです。それが、老人ホームなどの施設に直接訪問して診療するという歯科事業です。一つの事業が物事をがらりと変えたという意味で、思い出深い事業ですね。

きっかけは「いい事業があったら投資します」というエムアウトの活動を新聞記事で読んだ歯科医師から、声をかけてもらったことです。当時は訪問歯科をメインでやっているような歯医者さんは世の中になかったんですが、その先生が勤める歯科医院では訪問歯科をやって大きな売上を出していました。しかも、いろいろ話を聞いていると、訪問歯科のニーズがすごくあることがわかったんです。

たとえば、老人ホームなどに入居している高齢の方100人に歯科検診を行うと、80~90人は何かしらの問題が見つかるわけです。それを施設はもちろん家族にも報告するのですが、そうすると結果として60人の方が治療を受けてくれるのです。普通に考えて、6割のコンバージョン(=顧客獲得)をとれる事業というのはそうないですよね。しかも、訪問歯科は診療単価が高く、かつ、口からものを食べなくなるまで継続的に行っていく必要のあるものなので、LTV(ライフタイムバリュー=顧客生涯価値)がむちゃくちゃ高いビジネスになります。業界への理解が進むほどに「この事業は、いけるぞ」と思いました。

ですが、社内ではそのとき、ハズレクジの私の言っていることは全て“ダウト”という状態でしたから、最初は誰も反応してくれませんでした。結果としては、それが功を奏して、この分野に関しては私だけが詳しいという状態になったんですね。ビジネスとして形になったときには、周囲からも「これは、よさそうだ」という話になったのですが、そのときに事業のオーナーシップを持つことができて、メンバーも入ってきてくれるという状態になりました。

もう一つ幸運だったのは、立ち上げメンバーとして入ってきた歯科衛生士の方が、大手の特別養護老人ホームを顧客として持ってきてくれたこと。スタートと同時に、いきなり数字がバーンと上がったわけです。

この当時、社内では相手にされなくなっていたので、社外に活路を見出すしかなかったわけですが、運よく、外部の方とタッグを組んだビジネスが成功したわけです。「事業の借りは事業で返す」ということができて、どうにか暗黒時代を抜け出すことができました。自信が復活したと同時に、オセロをひっくり返すように周囲の反応も変わりましたね。最悪の事態も免れたし、私自身の傷も癒えていったという意味で、もう一度立ち上がるきっかけを作ってくれた事業です。

――素晴らしい復活劇ですね。そんなエムアウトでの経験は、どのような学びがありましたか?

大きく2つあります。ひとつは、新規事業の量稽古ができたこと。ミスミとエムアウトの2社20年間で17個の新規事業に関する何らかのプロジェクトに参画できたことは、良い経験でした。そして、その中で恐ろしいほどたくさんの失敗をしたというのが、ふたつ目の学びです。

その失敗の主な原因は、私自身の姿勢によるものでした。田口さんと一緒に立ち上げて取締役に就任させていただいたということは、当然、私自身はエムアウトの経営者でした。しかしながら、田口さんの存在が圧倒的すぎて、田口さんが実現したいことをただ一所懸命にやる作業者というのが私の実態だったんです。最初から最後まで経営者としては機能しておらず、それが原因であらゆることで失敗を犯してしまいました。

事業を立ち上げるなら「イシ・コト・ヒト・カネ」が必要だと、拙著「起業は意志が10割」で書かせていただいています。しかしながらサラリーマンの場合、イシを持ってコトを立ち上げることまでは出来たとしても、勝手にヒトを採用することはできないですし、勝手にカネを調達することもできないと思います。そうした環境の中で時間を過ごした私は、ヒトとカネに関しては深く考えないクセがついていました。エムアウトでは経営者でありながら、そうしたサラリーマンの構造を引きずった、未熟な経営者のまま仕事をしていました。ありとあらゆることを頑張ったけれど、経営者として見たときにクエスチョンがつくような行動を、わき目も振らずやっていたわけです。

当時の私は、経営者としての自覚、意志がなかったという意味で、そもそもデフォルトとして間違っていたんですね。結果として、現場のプレーヤーにもなりきれず、経営者にもなりきれず、現場と田口さんからの往復ビンタみたいになってしまった(笑)。ただ、中身としては悲惨極まりないですが、振り返れば多くの学びを得られたとも思っています。当時一緒だった仲間には、本当に迷惑を掛け、謝るしかない思い出なのですが。

新規事業家としてのステップ

2か月連続・2社上場の経験で暗雲が一挙に晴れた

――エムアウトの退任から、事務所設立までの経緯を教えていただけますか?

田口さんから「そろそろ独立したらどうだ」と言われたのが、退任のきっかけです。それまで転職も起業も考えていなかったのですが、田口さんがそう言うなら、これは独立するしかないなと。その当時、いろいろな転職エージェントとのお付き合いもあったので「どこか転職先ないですか」と聞いてみたのですが、誰も本気にしてくれませんでしたね。転職するような人材に見えなかったらしく、結局、誰も紹介してくれなかったんです(笑)。

仕方がないので、とりあえず守屋実事務所で会社登記したというのが始まりです。まずは、交流のあった人たちに声をかけてみて、縁があったのがラクスルとケアプロでした。どちらも創業期に参画させてもらうことができて、のちにどちらも副社長をやらせてもらいました。同時に、博報堂の新規事業の非常勤メンバーとしても業務委託契約を結ぶことができたので、結果的には良いスタートを切れたのだと思います。

――今は新規事業家として広範囲に活動をされている印象ですが、キッカケになった出来事があったのでしょうか?

2018年のブティックス、ラクスルの2か月連続上場というのが一番大きかったですね。事務所を立ち上げて独立してからは、仕事がつらいという感覚はありませんでしたが、成功はしていなかった。私にとっては、自分がその事業をちゃんとハンドリングできて初めて成功と思えるので、事業自体は成功していたとしても、それがイコール私の成功ではないわけです。

周囲からは新規事業のプロという肩書で認識してもらえるようになり、小さな成功もいくつかありましたが、「これを自分がやったんだ」という成功体験があったのかというと、満たされてはいなかったと思うんです。

そんな中で、自分が副社長や取締役として参画している会社が2か月連続で上場するというのは、なかなか実現している人がいないわけですから、自分がやってきたことを一言で説明できるキャッチコピーを手に入れたという感じがしました。これによって収入やスキルが特段変わったわけではありませんが、精神的な部分で切り替わった出来事です。自分自身を説明できるキーワードの効能は大きくて、それまでの30年近くの新規事業人生を、一気に肯定的に見れる自分がいました。

スモールビジネス経営者は行動あるのみ

うまくいっていないのではなく、うまくいかせていない

――様々な経験をされてきた中で、今後のスモールビジネスが成長していくために必要なことは何だと思いますか?

大きい会社でも小さい会社でも、変わり続けないと維持することすらできない時代になっていると思います。世の中が変わり続けているわけですから、自らも変わり続けないと、自分たちの立ち位置がどんどん変わっていっちゃうと思うんですね。変わらずにいるためには変わらないとダメ、そんな時代になっていると思います。

ただ、変わり続けるというのは、言うほど簡単なことではありません。なかには動かしてはいけない軸というものがあって、何を変えて何を動かしてはいけないのか、答えのない中で判断しなくてはならないわけです。

よく、「行き詰まったときは何をすればいいのか」という質問を受けるのですが、そもそも「それは本当に行き詰まっているのか?」と思うことがたびたびあります。うまくいっていないのではなく、うまくいかせていないのかもしれないと思うんですね。これまでの自分にとらわれて、変えるのが億劫になっていたり、怖くなっていたりすることもあるでしょう。

私は、コロナ禍では勝負に出たほうがいいと話しています。たとえば、飲食店に対しては「胃袋の数が減ったわけじゃない。果敢にいこう」と。もちろん、それまで飲食店だったものをいきなりデリバリー専門店に転換するのは、二の足を踏んで当然のこと。ただ、二の足を踏んで「何もしない」という状況を選んでいる以上、それはうまくいっていないのではなく、うまくいかせていないのでは?と思うんです。

私は、人は考えたようにはならなくて、行ったようになると考えています。頭の中で何回考えたところで、体を動かさなければ何も動かせません。やらないという選択を昨日も今日も明日も続けていれば、やらない人になる。逆に、常に右足を前に出している人は、とっさのときにも右足が前に出るわけです。その一歩を踏み出せるかどうかで、まったく違う未来になるし、動かなければ今を維持することすら難しくなります。つまり、動いていたほうがセーフティということなんです。

――一歩を踏み出すのは勇気がいることですよね。どうしたら変えられますか?

多くの人は、一晩で180度がらりと変えようとするんですね。それ自体に無理があります。1年くらいかけて変わればいいわけで、今日は365分の1歩だと思えばいい。上り切れない階段を設定するんじゃなくて、ちゃんと上れるように設定すればいい。一歩踏み出せた人は、二歩目も三歩目も踏み出せると思うので、絶対に歩幅が広がるはずなんです。

コロナ禍になってすでに一年以上が経過していますが、早い段階で一歩を踏み出した人は、もうすでに遠くまで進んでいて、いろいろなことをやっています。アフターコロナという言葉ができているくらい世の中が変わっているのですから、すでにコロナ以前にあった多くのサービスがアンマッチを起こしているわけです。そういう意味でも、動いた人がより多くのチャンスをつかむことになります。

たとえば、私が取締役をしているサウンドファンというスピーカーの会社は、コロナ禍で前年同月比50倍の数字を出すことができました。そこで、試しに北海道でテレビCMを打ってみたら、オーガニックの流入が47倍まで増加しました。一歩を踏み出せば、そんなことも起こり得るんです。

――最後に、スモールビジネス経営者に向けてアドバイスをお願いします。

これまでのビジネスでは規模の大きい法人が強かったわけですが、徐々に個人や小規模事業者でも戦える時代に移り変わってきています。それが、コロナ禍でさらに5年分くらいのジャンプをしたように感じています。

たとえば、オンラインのビデオ会議システムは数年前から提供されていましたが、私自身、実際に使い始めたのはコロナ禍で必要に迫られてからです。つまり、高齢の方々だけがデジタルを受け入れていなかったわけではなくて、多くの人が受け入れてこなかったといえますよね。

こうしたジャンプは、スモールビジネス経営者にとってチャンスが広がることになったと思います。freeeのように、ほとんどコストをかけずにビジネスを効率化できるツールを提供する会社が増えていることも追い風になっているでしょう。会社を設立し、新しい一歩を踏み出すコストが著しく低下している、ということです。

スモールビジネス 経営者こそ、勇気をもって、どんどん動いてもらえたらいいなと思っています。

(インタビュー:土井 啓夢 文:社 美樹)

今回守屋さんの著書、「起業は意志が10割」の書籍データ100頁分のPDFを、
こちらから無料でダウンロード できます。

社 美樹

出版社に18年勤務。編集長、メディア設計、営業統括、システム開発PMと畑違いの職務で管理職を経験。現在は数々のメディアで企画・編集・執筆を手掛ける。得意領域は実践も積んでいるメディア企画系、人事・マネジメント系、ビジネス系、医療・美容系。インタビュー経験は200件以上。Webライティング講師も務める。

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