2021年7月14日 コラム

日本のダイバーシティが向かうべきところを追い求めて(前編)

【連載コラム】エンジェル投資家が見ている世界

スタートアップや起業家を支援するエンジェル投資家。この連載では、インタビューを通じてエンジェル投資家の経験や視点、投資を判断するときの基準を様々な角度から伝えていきます。今回のインタビュイーは、ベストセラーとなった『五体不満足』(講談社)の著者として知られる乙武洋匡さん。「乙武義足プロジェクト」へのチャレンジマインドや海外放浪の旅で得た視点、福祉・教育分野への投資についてお話を伺いました。

後編はこちらから


● インタビュイー
作家
乙武洋匡さん

●プロフィール
作家。1976年、東京都出身。早稲田大学在学中に出版した『五体不満足』が600万部を超すベストセラーに。卒業後はスポーツライターとして活躍。その後、小学校教諭、東京都教育委員など歴任。2010年より「まちの保育園」経営に参画。2014年に地域密着のごみ拾いNPO「「グリーンバード新宿」を立ち上げ代表に就任。エンジェル投資家として、発達障害者と療養士などのメンターを結ぶ「Branch(ブランチ)」への投資をはじめ、福祉・教育分野での支援活動を行っている。著書最新作に「家族とは何か」「ふつうとは何か」を問いかける小説『ヒゲとナプキン』(小学館)がある。

●著書
『ヒゲとナプキン』(小学館)
『四肢奮迅』(講談社)
『ただいま、日本 世界一周、放浪の旅へ。37か国を回って見えたこと』(扶桑社)
『自分を愛する力』(講談社)
『だいじょうぶ3組』(講談社)
『オトことば。』(文藝春秋) ほか

「乙武義足プロジェクト」が向かうゴールとは

号泣した初めての10m

――2018年から「乙武義足プロジェクト」に取り組まれていますが、最初にこのお話がきたときの心境を教えていただけますか?

2016年に私のプライベートに関する報道があって、それまで行ってきた活動が一切できなくなりました。私の活動は社会のためになることをという思いでやってきたので、世の中から期待されないという中で、じくじたる思いがありました。義足プロジェクトのお話をいただいたときは、また人様のお役に立つためのチャンスをいただけたことが純粋に嬉しかったですね。

言論活動といった、これまでと同じようなスタイルの参加の仕方であれば躊躇する気持ちが生まれたと思うのですが、義足プロジェクトはとにかく体を張ることで貢献できます。これまでとは違った形で自分を表現できますし、世間様からの批判をそこまで気にせずに打ち込めるかなという思いもありました。

――かなりハードなトレーニングを継続されていますが、どのようなモチベーションで臨まれているのでしょうか?

プロジェクトが始まってから3年以上が経ちました。最初の1年くらいはお話をいただいた当初と同じように、自分が歩けるようになること、あるいは歩けるように努力をすることが被験者としての務めであるし、両足がない人が歩けるようになるための礎になるという気持ちで取り組んでいました。

それがだんだんと、思うように上達しないことが本当に悔しかったり、逆にできなかったことができるようになるとすごく嬉しかったり、自分のためにやっているという思いに変わってきました。世のため人のためという思いは変わらず持っているのですが、悔しさを乗り越えたときにはめちゃくちゃ嬉しいし、その嬉しさがあるからやれているという感じがします。

たとえば、100m走で10秒切ることを目指してトレーニングを重ねてきたアスリートが、ある日突然10秒を切れたらすごく嬉しいですよね。それと一緒で、私も初めて10m歩けたときは号泣したほど嬉しかった。今は70mほど歩けるようになりましたが、そうした進歩を自分の中で感じられているのが本当に嬉しいし、継続する力になっていると思います。

私は現在45歳ですが、この年齢になって全身全霊を傾けてチャレンジできることに出会うのはなかなか難しいこと。そういう意味でも、このプロジェクトに参加させていただけたことに感謝しています。

――乙武さんご自身は、義足プロジェクトのゴールをどこに置かれていますか?

「これ以上は成長しないな」というところまでやることですね。もともと、何メートル歩けたら終わり、何秒で歩けるようになったら終わりといった数値目標を決めているプロジェクトではないので。義足を作るメカニックチームと体を作っていくフィジカルチームという体制で行っているのですが、メンバー全員が「やれるところまでやったね」と思えるところまでやり切るのがゴールかなと。

将来的にはこのプロジェクトで得られた知見が社会に活かされていくと思いますが、私たちのチームだけで製品化や社会への実装というところまで漕ぎつけるものではないほど、先の長いプロジェクトです。

ただ、もともと車椅子で不自由していなかった乙武を歩かせるという取り組みに対して、「車椅子よりも二足歩行のほうが上というイメージを植え付けるのでは?」という疑問の声をいただくことがあるんですね。私たちの中ではまったくそういった思いはなく、選択肢を増やしたいだけなんです。車椅子しか手段がないという状態から、二足歩行の選択肢もあるというオルタナティブを提案したいというのがプロジェクトメンバーの一致する思いです。

チャレンジと失敗のリスクについて

チャレンジする人はセーフティネットを持っておくべき

――乙武さんは、いろいろなことに果敢にチャレンジされている印象があるのですが、挑戦を続けるうえでのマインドを教えていただけますか?

私の場合、休日でも家の中でボーっとしているのが苦手で、つねに何か予定を入れて動いていたいんですね。何かに挑戦するというのもその延長線上で、すでにこなせるようになったことをルーティンでこなしながら日常を過ごしていくのが苦手なんです。

自分には難しいかもしれないことや、やってみないとできるかどうかわからないといったものに日々少しずつ触れていたい。もちろん、やってみてできないこともありますが、一つひとつ体当たりで試していきながらできることを増やしていきたいですし、できたときの喜びを追い求めてチャレンジしているのかなという気がします。

――チャレンジするための一歩を踏み出すのが難しいという方も多いと思うのですが、アドバイスをいただけますか?

質問とは少しずれてしまいますが、私はやみくもにチャレンジすることを勧めません。というのは、チャレンジには必ずリスクがともなうから。私自身はリスクを理解して、それを引き受けてでもチャレンジしたいと思うからしていますが、人に挑戦するよう焚きつけながら、失敗したときのリスクは引き受けないというのは酷な話かなと思っています。

ですので、私の場合はむしろリスクをしっかり伝えます。リスクを理解したうえでも「これをやるんだ」という強い気持ちが本人になければ本当の意味でのチャレンジにならないですし、それくらいの強い意志があって初めて成功につながっていきます。周りから冷や水をぶっかけられてでも熱が冷めないような強い気持ちがあってこそ、チャレンジは成立するのだと思います。

――何度も失敗するとモチベーションが保てなくなることもあると思うのですが、折れない心を持つためのコツは何かありますか?

何かにチャレンジしたいと思っている人に必ず用意してほしいと思うのは、セーフティネットですね。10個チャレンジしても9個は失敗するというように、成功するのは簡単なことではありません。

そうすると、その分だけリスクを引き受けなければならなくなります。それは金銭的なことだったり、周囲からのレピュテーション(評判)だったり、あるいは挫折という意味での心の喪失感かもしれない。自分がボロボロになったときに、どうやって癒しを得て立ち直っていくのかというセーフティネットを持っていることが大事になってくるんですね。

私の場合はそれが友人たちの存在で、直接慰めの言葉をくれる人もいれば、何も言わずに一緒にお酒を飲んでくれる人もいます。彼らに救われて、また次のチャレンジをがんばろうと思える気持ちが湧いてきます。人によっては、それが読書だったり旅行だったり、あるいは家族かもしれません。

いずれにしても、これがあれば心の安らぎを得られて、傷を癒せて、次にがんばろうというモチベーションが生まれるセーフティネットをあらかじめ持っておくと、チャレンジしやすいのかなと思いますね。

日本と海外のダイバーシティはどこが違うのか

西ヨーロッパは「みんなちがって、みんなどうでもいい」の文化

――乙武さんは37か国を巡る旅もされましたが、日本と海外との違いでもっとも印象に残っていることは何でしょうか?

私の活動の柱はダイバーシティ(多様性)に置いているのですが、日本では多様性という言葉を用いるときに、詩人の金子みすゞさんが書かれた「みんなちがって、みんないい」というような文脈で語られることが多いんですね。私自身も好きなフレーズですが、西ヨーロッパの価値観は少し違っていて「みんなちがって、みんなどうでもいい」というニュアンスに近い。

これは一人ひとりには価値がないという意味ではなくて、一人ひとりの違いなんてどうでもいいという意味合いです。日本は「違い」というものにとても敏感で重く受け止める風潮がありますが、西ヨーロッパではそもそも違いがあるのは当たり前で、その違いに重きを置く必要はないという文化があります。それがダイバーシティにもプラスに働いていて、私にとってはとても居心地がよかったですね。

もう一つ西ヨーロッパで共感したのは、スタートラインはフェアでなくてはならないという価値観。生まれたときの境遇によって有利な人・不利な人がでてくるのはおかしい、スタートラインが並んでいなければ資本主義においてフェアな勝負にならないという考え方が人権問題として広く根付いています。

日本ではスタートラインがばらばらなのに、マイナスからのスタートとなってしまう人を同じラインに並べようとすると「優遇」とか「特別扱い」という声が出てしまいます。同じスタートラインに立っている人に下駄を履かせた場合は優遇や特別扱いになりますが、もともとマイナスを背負っている人に下駄を履かせてプラスマイナスゼロの状態に戻すのは、優遇ではなく是正だと私は思っているんですね。

このあたりの感覚が日本ではなかなか理解されづらく、日本とヨーロッパとで大きく違っている点と感じています。

――スタートラインを揃えるということが日本で理解されにくい背景には、どんなことがあるのでしょうか?

文化的なこともあるかもしれないですが、日本の経済があまりうまくいっていないことも一つの要因となっている気がします。みんな苦しいので、「誰かが救われて、自分の苦しさが救われないのは納得できない」という気持ちが生まれやすくなっているのかもしれません。

ただ、経済の影響といった外的な要因が解消されたとしても、内的要因としての意識が変わらないと根本的な解決にはならないと思います。スタートラインを揃えるのが当たり前だと思える世界が私の理想ですし、そうなるように努めていきたいですね。

後編はこちらからどうぞ

 <strong><span style="text-decoration: underline;">社 美樹</span></strong>
社 美樹

出版社に18年勤務。編集長、メディア設計、営業統括、システム開発PMと畑違いの職務で管理職を経験。現在は数々のメディアで企画・編集・執筆を手掛ける。得意領域は実践も積んでいるメディア企画系、人事・マネジメント系、ビジネス系、医療・美容系。インタビュー経験は200件以上。Webライティング講師も務める。

(インタビュー:土井 啓夢(編集部) 文:社 美樹)

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